スタートは、練習のなかでいちばん派手で、いちばん誤解されやすい一本です。 速く手を動かすことだと思われがちですが、狙いはそこではありません。 止まっている艇に水を掴ませて、一本ごとに前へ送り出すこと。 それがスタート練習です。
最初の数本(よく「5本」と数えます)で、レースの入りが決まります。 ここが決まれば、あとは巡航に落として運ぶだけ。逆にここで水が抜けると、 取り返すのに何本もかかります。だからこそ、静止からの加速だけを取り出して 練習する価値があります。
レース本番でスタートがどう進むかは、この記事では扱いません。 スタート台(ステイクボート。艇尾を固定して待つ係留)での構え、発艇の合図、 フォルススタート(早すぎる発艇)の扱いといった決まりごとは、 規則の話なので、 レースのスタート手順にまとめてあります。ここで扱うのは、その手順を「どう練習するか」だけです。
この練習の位置づけ
対象レベルは基礎です。強度ゾーンの読み方が一通り分かっていて、クルーで息を合わせて数本を 通せる段階を想定しています。まだ艇の上でバランスを取るだけで精一杯なら、 先に 技術ドリルで一本を作るほうが順番として先です。
目的は、静止した艇を、水を掴んだまま加速させること。レート(1分間に漕ぐ本数)の数字を上げることではありません。 一本ごとに艇速が伸びているか。それだけが、この練習の成否を分けます。 派手なレートは、水を掴めていれば後からついてきます。
所要時間 — 全力の部分は、ほんのわずか
全体で30〜60分。ただし、そのうち全力で漕ぐ部分は、ほんの数分です。大半は、ていねいなウォームアップと、一本ごとの長い休息で占められます。 短く強く、そしてよく休む。これがスタート練習の時間の使い方です。
強度 — 心拍では測れない帯
スタートは、練習のなかで最も高い強度に触れます。強度帯でいえば、 有酸素の上——無酸素(AN。酸素の供給が追いつかない領域)に 寄ったところです。息も絶え絶えで、声も出ない。それくらいの全力です。
この練習で、心拍計は当てになりません。一本が短すぎて、心拍が上がりきる前に終わってしまうからです。 英国代表(GB Rowing Team)の区分表でも、最も高い強度帯には、そもそも 心拍の目安が置かれていません。頼るのは、レートと、体感と、 そして何より艇の伸びです。
実施方法 — 短い全力と、長い休息
組み立ては、次の五つの手順で足ります。上から順に。
- たっぷり、ウォームアップする最も高い強度を扱う練習ほど、長い準備が要ります。手引きの目安では、 無酸素の練習のウォームアップは15〜20分。体が温まる前に全力のスタートを 打つと、伸びる前に痛めます。なぜそれだけの準備が要るのか、体の理由は ウォームアップとクールダウンに。
- まず低いレートで、形を通す全力に上げる前に、止まった艇から水を掴んで動かす形を、ゆっくり確認します。速い動きの中では、崩れは直せません。最初の一掻きでブレード(オールの水をかく面)がしっかり水に食い込んでいるか、脚から力が伝わっているか。ここで形ができていないなら、まだレートを上げる段階ではありません。
- 全力のスタートを、短く・少なく・休みを長く1本=スタート+つなぎ(スタートから巡航へ、ストロークを伸ばしながら 移していく数本)で、およそ10〜15本のパワーストローク(全力で押す一本)。 レースの巡航レートを超える強さで打ちます。本数は少なめから。 休息はたっぷり取ります。短く強い一本ほど、長く休みます。 具体的な目安は、下の表に。
- 一本ごとに、艇が伸びたかを確かめる見るのは、レート計の数字ではありません。艇が前へ伸びたか、ブレードが水に残すパドル(渦。水を掴めていた手がかり)がはっきり残っているか、です。伸びが頭打ちになったら、その日はそこで終わり。無理に本数を足しても、質が落ちるだけです。
- ゆるく漕いで、クールダウン最後は、安静時の倍くらいの心拍で、ゆるく漕いで戻します。 手引きの目安は15〜20分。強度が高い日ほど、長めに取ります。 クールダウンの意味は ウォームアップとクールダウンに。
距離で区切る組み方もあります。カナダの公開資料は、スタートの感覚を つくる区分として「30〜60ストローク(または1〜2分)を1本、休息はその4〜5倍、 レートはレースレート(レース中の巡航のレート)を超える」を挙げています。 英国代表の例には「250mを4〜8本(休息2分)」もあります。 どれも、短い全力と長い休息という骨格は同じです。 自分のクルーの本数と休息は、この骨格の範囲で、指導者の指示に合わせて 決めてください。
注意点
注意点は、四つです。
体が温まる前に、全力を打たない。この練習は最も高い強度を扱います。準備を省くと、伸びる前に痛めます。 どれだけ準備に時間をかけるべきか、その体の理由は ウォームアップとクールダウンに。
腰に、いちばん負荷が集中する一本です。止まった艇を動かす最初の一掻きは、脚の力を強く水へ伝える瞬間。 フォームが崩れていると、その力がそのまま腰に来ます。守り方の考え方は 腰痛の予防にまとめました。
心拍計を、判断に使わない。一本が短く、心拍が指標にならない帯です。なぜ短時間の全力では 心拍が当てにならないのか、その体の仕組みは エネルギー供給と強度区分にあります。
増やせば効く、ではありません。高強度を増やした研究は、記録の向上を示さないことが多く、しばしば オーバートレーニング(練習しすぎで、かえって調子を崩す状態)の兆候が出る、 と公開資料は指摘しています。質の高い数本で十分です。
スタートの成否は、レート計の数字ではなく、一本ごとに艇が伸びたかどうかで決まります。
