こぎだし

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スタート練習 — 静止から、艇を動かす

スタートは、練習のなかでいちばん派手で、いちばん誤解されやすい一本です。速く手を動かすことではありません。止まっている艇に水を掴ませて、一本ごとに前へ送り出すこと。今日は、その手順を安全な順番で組み立てます。

読了目安7分レベル基礎公開日2026.07.15
凪いだ静かな水面を、静止からちょうど漕ぎ出した1艇のシングルスカル。艇尾の後ろの水面に、最初の数本のブレードが残した丸いパドル(渦)が点々と一列に残っている。

スタートは、練習のなかでいちばん派手で、いちばん誤解されやすい一本です。 速く手を動かすことだと思われがちですが、狙いはそこではありません。 止まっている艇に水を掴ませて、一本ごとに前へ送り出すこと。 それがスタート練習です。

最初の数本(よく「5本」と数えます)で、レースの入りが決まります。 ここが決まれば、あとは巡航に落として運ぶだけ。逆にここで水が抜けると、 取り返すのに何本もかかります。だからこそ、静止からの加速だけを取り出して 練習する価値があります。

レース本番でスタートがどう進むかは、この記事では扱いません。 スタート台(ステイクボート。艇尾を固定して待つ係留)での構え、発艇の合図、 フォルススタート(早すぎる発艇)の扱いといった決まりごとは、 規則の話なので、 レースのスタート手順にまとめてあります。ここで扱うのは、その手順を「どう練習するか」だけです。

この練習の位置づけ

対象レベルは基礎です。強度ゾーンの読み方が一通り分かっていて、クルーで息を合わせて数本を 通せる段階を想定しています。まだ艇の上でバランスを取るだけで精一杯なら、 先に 技術ドリルで一本を作るほうが順番として先です。

目的は、静止した艇を、水を掴んだまま加速させること。レート(1分間に漕ぐ本数)の数字を上げることではありません。 一本ごとに艇速が伸びているか。それだけが、この練習の成否を分けます。 派手なレートは、水を掴めていれば後からついてきます。

所要時間 — 全力の部分は、ほんのわずか

全体で30〜60分。ただし、そのうち全力で漕ぐ部分は、ほんの数分です。大半は、ていねいなウォームアップと、一本ごとの長い休息で占められます。 短く強く、そしてよく休む。これがスタート練習の時間の使い方です。

1回の所要時間
30–60
うち全力の部分はごくわずかです。この時間には、長めのウォームアップとクールダウン、そして一本ごとのたっぷりした休息が含まれます。実際に追い込む合計時間は、数分にすぎません。

強度 — 心拍では測れない帯

スタートは、練習のなかで最も高い強度に触れます。強度帯でいえば、 有酸素の上——無酸素(AN。酸素の供給が追いつかない領域)に 寄ったところです。息も絶え絶えで、声も出ない。それくらいの全力です。

この練習で、心拍計は当てになりません。一本が短すぎて、心拍が上がりきる前に終わってしまうからです。 英国代表(GB Rowing Team)の区分表でも、最も高い強度帯には、そもそも 心拍の目安が置かれていません。頼るのは、レートと、体感と、 そして何より艇の伸びです。

レート
32+spm
主観的なきつさ
9–10/ 10
レートは、英国の手引き(Concept2)が無酸素帯に置く「32以上、ないし最大」の目安。spm は1分間の本数です。カナダの公開資料も、スタートの感覚をつくる区分はレースの巡航レートを超える、としています。主観的なきつさ9〜10(RPE。感じるきつさを0〜10で表す尺度)は、英国代表の区分表で無酸素性容量(AC)に置かれた値で、ほぼ全力から全力を指します。心拍を目安に入れていないのは、この強度では心拍が指標にならないためです。

実施方法 — 短い全力と、長い休息

組み立ては、次の五つの手順で足ります。上から順に。

  1. たっぷり、ウォームアップする
    最も高い強度を扱う練習ほど、長い準備が要ります。手引きの目安では、 無酸素の練習のウォームアップは15〜20分。体が温まる前に全力のスタートを 打つと、伸びる前に痛めます。なぜそれだけの準備が要るのか、体の理由は ウォームアップとクールダウンに。
  2. まず低いレートで、形を通す
    全力に上げる前に、止まった艇から水を掴んで動かす形を、ゆっくり確認します。速い動きの中では、崩れは直せません。最初の一掻きでブレード(オールの水をかく面)がしっかり水に食い込んでいるか、脚から力が伝わっているか。ここで形ができていないなら、まだレートを上げる段階ではありません。
  3. 全力のスタートを、短く・少なく・休みを長く
    1本=スタート+つなぎ(スタートから巡航へ、ストロークを伸ばしながら 移していく数本)で、およそ10〜15本のパワーストローク(全力で押す一本)。 レースの巡航レートを超える強さで打ちます。本数は少なめから。 休息はたっぷり取ります。短く強い一本ほど、長く休みます。 具体的な目安は、下の表に。
  4. 一本ごとに、艇が伸びたかを確かめる
    見るのは、レート計の数字ではありません。艇が前へ伸びたか、ブレードが水に残すパドル(渦。水を掴めていた手がかり)がはっきり残っているか、です。伸びが頭打ちになったら、その日はそこで終わり。無理に本数を足しても、質が落ちるだけです。
  5. ゆるく漕いで、クールダウン
    最後は、安静時の倍くらいの心拍で、ゆるく漕いで戻します。 手引きの目安は15〜20分。強度が高い日ほど、長めに取ります。 クールダウンの意味は ウォームアップとクールダウンに。
1本のパワーストローク数
10–15
本数(代表クラスの例)
10–20
運動 : 休息
1:1–1:5
本数とパワーストローク数は、英国代表の区分表にある無酸素性パワーの練習例(10〜20本×10〜15パワーストローク)。ただしこれは代表クラス(エリート)の数字なので、初心者はぐっと減らし、質が保てる数本から始めてください。休息の比は、漕いだ時間と同じ(英国の手引き)から、その4〜5倍(カナダの公開資料)まで、資料によって幅があります。スタートのように短く強い一本ほど、長い休息が要ります。

距離で区切る組み方もあります。カナダの公開資料は、スタートの感覚を つくる区分として「30〜60ストローク(または1〜2分)を1本、休息はその4〜5倍、 レートはレースレート(レース中の巡航のレート)を超える」を挙げています。 英国代表の例には「250mを4〜8本(休息2分)」もあります。 どれも、短い全力と長い休息という骨格は同じです。 自分のクルーの本数と休息は、この骨格の範囲で、指導者の指示に合わせて 決めてください。

注意点

注意点は、四つです。

体が温まる前に、全力を打たない。この練習は最も高い強度を扱います。準備を省くと、伸びる前に痛めます。 どれだけ準備に時間をかけるべきか、その体の理由は ウォームアップとクールダウンに。

腰に、いちばん負荷が集中する一本です。止まった艇を動かす最初の一掻きは、脚の力を強く水へ伝える瞬間。 フォームが崩れていると、その力がそのまま腰に来ます。守り方の考え方は 腰痛の予防にまとめました。

心拍計を、判断に使わない。一本が短く、心拍が指標にならない帯です。なぜ短時間の全力では 心拍が当てにならないのか、その体の仕組みは エネルギー供給と強度区分にあります。

増やせば効く、ではありません。高強度を増やした研究は、記録の向上を示さないことが多く、しばしば オーバートレーニング(練習しすぎで、かえって調子を崩す状態)の兆候が出る、 と公開資料は指摘しています。質の高い数本で十分です。

スタートの成否は、レート計の数字ではなく、一本ごとに艇が伸びたかどうかで決まります。