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腰痛の予防 — 負担のかかり方と、痛みが出たときの原則

腰痛は、漕手のあいだで最もよく報告される不調です。だからこそ「よくあること」で片づけない。負担がどこに集まるのかを知り、痛みが出たときにどう振る舞うかを、先に決めておきましょう。

読了目安8分レベル基礎公開日2026.07.14更新日2026.07.20
静かな艇庫の隅の木のベンチ。畳んだタオルと水筒が置かれ、そばの壁に1本のスカルのオールが立てかけられている、練習を終えて体を休める情景。

はじめに、この記事の立ち位置をはっきりさせておきます。ここに書くのは、公開されている 研究やガイドラインで一般に言われている考え方です。診断(何という状態なのかを決めること)も、治療やストレッチの処方(何をどれだけ やるかを指示すること)も行いません。腰の痛みは原因も経過も人によって違い、文章だけで 判断できるものではないからです。

それでも知っておく価値はあります。腰痛の多くは、練習の組み立て方という、漕手と指導者 の手の届く範囲にある要因と結びついている。それが国際的な合意声明の見方だからです。

なぜ、腰に負担が集まるのか

ローイングは、深く前に傾いた姿勢から、脚で押して体を後ろへ起こすという一往復を、 練習中ずっと繰り返す競技です。キャッチ(ブレード、つまりオールの先の平たい部分を水に 入れる瞬間)では、体は最も前に折りたたまれています。ここで股関節がしっかり動いて いれば、前傾は骨盤ごと倒れる動きになります。反対に股関節の動きが足りないと、足りない 分を背中の丸まりで埋めることになる。同じ「前に届く」でも、体の中で起きていることは 別物です。

やっかいなのは、この使い分けが疲れてくると崩れることです。長く漕ぐほど、あるいは速く漕ぐほど、同じキャッチとフィニッシュの位置に 届くために背骨が余計に曲がる。そうした傾向が、複数の研究をまとめた総説で報告されて います。つまり「フォームが悪いから腰が痛くなる」だけでなく、「疲れがフォームを変えて しまう」という順番も起きている。エルゴメーター(ローイングマシン)は、休みを挟まず 同じ動作を続けやすい道具です。研究で繰り返し話題になるのも、この連続した使い方の方 です。

エルゴと水の上では、同じ「漕ぐ」でも体の使われ方に差があります。エルゴでの動作は 水上より腰の丸まりが大きくなりやすい、という比較研究の報告があります。陸上トレー ニングが中心になる冬の時期に、腰痛の報告が増えたという調査もあります。冬のエルゴ期 は、量だけでなく姿勢の面でも、腰にとって条件が変わる時期です。

規模の感覚も添えておきます。国際競技団体の解説では、成人漕手の3人に2人が12か月 以内に腰痛を経験する、という言い方が紹介されています。漕がない人では3人に1人です。 ただし下の数字と同じで、調査の方法や腰痛の定義によって値は大きく動きます。

腰痛を経験した漕手の割合
6–66%
腰痛歴があるときの起こしやすさ
1.86–3.78
練習1000時間あたりの報告件数
1.5–3.7
研究が注意を向ける連続エルゴ時間
30分以上
1つめは、12か月間の腰痛について報告した複数の研究を総説がまとめたときの「報告の幅」です。調査の方法・対象・腰痛の定義で大きく変わるため、幅がそのまま実態の広さを表しています。2つめは、過去に腰痛を経験した人が、そうでない人と比べてどれだけ腰痛を報告しやすいかの推定値(オッズ比。数字が1より大きいほど関連が強いことを示す指標)の95%信頼区間で、推定の中心は2.65倍です。3つめは、漕艇と関連するトレーニング1000時間あたりの腰痛の報告件数としてレビューに載っている幅です。4つめは、連続したエルゴメーターの使用時間として研究で注意が向けられている長さで、「30分までなら安全」という意味ではありません。いずれも個人差・条件差が大きく、自分に当てはまるかどうかを決める数字ではありません。

予防として、一般に言われていること

先に、いちばん大切な前提を書きます。「これをやれば腰痛を防げる」と確立された方法は、まだありません。国際競技団体が公開している解説でも、決定的な予防法は示されていない、と正直に書かれて います。ですから以下は「守れば安全になる手順」ではなく、公開資料で共通して語られて いる注意の向け先です。

一つめは量の増やし方。急に練習量を増やした時期は、体がその変化に 追いつく前に負担だけが積み上がります。新学期や合宿、大会前など、量が急に増える 場面はだいたい決まっています。二つめは長く続けるエルゴとのつきあい方。休みなく続く長時間の使用に注意が向けられており、区切りを入れる、内容を分けるといった 工夫が語られています。三つめは疲れた状態のフォーム。崩れた形のまま本数を重ねるより、その日の練習を早く切り上げる判断のほうが、結果的に 体を守ることがあります。

見落としやすいのは、陸上トレーニングです。エリート漕手では、障害の最大半分が陸上 トレーニング(エルゴやウエイトトレーニング)中に起きていたという報告があります。 大学生の漕手では、腰痛とフリーウエイト(バーベルなどの重り)のトレーニングとの 関連も報告されています。漕いだ量とウエイトの量は、腰にとっては一つの負荷です。 増やすときは、合わせて数えてください。

体の条件としては、股関節まわりが挙げられています。国際競技団体の解説は、股関節を 曲げる動きの可動域の不足、ハムストリング(ももの裏の筋肉)の硬さ、体の後ろ側の 筋持久力の不足を、腰痛と関連づけて注意を向けています。前傾を股関節から作れるか どうかは技術の話でもあります。動きの側からはレッグドライブとボディスイングで、体を整える側からはモビリティで扱って いるので、合わせて読んでください。

陸上トレーニング中に起きた障害の割合
最大50%
解説が挙げる股関節屈曲の可動域
130度未満
1つめはエリート漕手を対象にした報告の値で、対象・期間・障害の数え方によって変わります。2つめは、国際競技団体の解説が腰痛と関連づけて挙げている目安です。自分で測って診断に使うための基準ではありません。測り方でも値は変わるため、可動域の評価と改善の進め方は、指導者や専門家と一緒に決めてください。

体幹(胴体を支える筋肉)については、静止して耐えるだけの種目より、体を動かしながら 背中側を長く働かせる種目に期待が寄せられている、という見方が国際競技団体の解説で 示されています。ただしこれも「効く」と決まった話ではありません。この記事では具体的な 種目や回数の指示はしません。何をどれだけやるかは、指導者や、必要なら医療者と一緒に 決めるべきことだからです。

痛みが出たときの原則

痛みが出てからどう振る舞うかは、あらかじめ 決めておけることです。判断に迷う場面で「決めておいた通りに動く」ためのものとして、 次の順番を読んでください。

  1. 我慢して漕ぎ続けない
    痛みを押して続けることが、強さの証明になることはありません。いつもと違う痛みを感じたら、その場で漕ぐのをやめる、または強度を下げる判断をしてよい。
  2. その日のうちに指導者へ伝える
    隠すほど対応は遅れます。伝えることをためらわせない雰囲気を作るのは、チーム全体の仕事です。国際的な合意声明でも、痛みを言い出せる文化づくりが推奨されています。
  3. 痛みを強める動きから、いったん離れる
    何が痛みを強めるかは人によって違います。同じメニューを形だけ続けるより、負担のかかる動きから距離を置くほうが先です。
  4. 自己判断で押し通さない
    「休めば治る」「ストレッチで何とかなる」と自分で結論を出さない。インターネットの情報(この記事も含みます)で診断はできません。
  5. 医療機関に相談する
    痛みが続く、繰り返す、しびれや脚の症状をともなう、日常生活にも出る。こうしたときは、医療機関で診てもらってください。何という状態なのかを決められるのは医療者だけです。
  6. 戻り方は、医療者と指導者と一緒に決める
    復帰は「痛みが消えた日から全部元通り」ではありません。段階を踏む戻し方を、医療者の指示と指導者の計画を合わせて決めます。

痛いと言えることは、弱さではありません。艇を降りる判断のほうが、難しい。

復帰についても、期間の感覚だけ持っておいてください。腰の障害からの復帰には 数か月単位の期間を見込む報告があります。状態と経過で大きく変わるため、基準に なるのは医療機関の判断です。

腰以外の痛みは、別の記事にまとめてあります。手のまめやお尻の痛みなど、始めた ばかりの時期に多い困りごとはまめと体の痛み図鑑へ。深呼吸や咳、寝返りで強まる胸の痛みには、腰とは別の注意が必要です。肋骨疲労骨折を読んでください。

日本の現場と、海外のガイドラインを重ねる

海外の合意声明が繰り返し強調しているのは、教育・負荷の管理・早く負荷を外すこと・そして痛みを言い出せるチームの空気の4つです。器具や種目、技術や筋力の話より前に、コミュニケーションが置かれています。

いっぽう日本の学校部活動には、練習量そのものに公的な枠組みがあります。スポーツ庁が 2018年に示したガイドラインは、休養日と活動時間の目安を数字で置きました。これは腰痛 予防のために作られた基準ではありませんが、「量が急に膨らむのを防ぐ」という点では、 海外で語られている負荷の管理と同じ方向を向いています。

休養日
週2日以上
週あたりの活動時間の上限の目安
16時間未満
1日の活動時間(平日)
2時間程度
1日の活動時間(学校の休業日)
3時間程度
スポーツ庁「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」(2018年)が中学校の運動部活動について示した目安です。このうち週16時間未満は、ガイドラインが踏まえた日本体育協会(現・日本スポーツ協会)の研究で望ましいとされた値です。腰痛予防のために作られた数値ではなく、成長期の体と生活を守るための枠組みとして示されたもの。学校・地域・チームの方針や、指導者の判断が優先します。高校・大学・社会人のクラブにそのまま当てはまる数字でもありません。

枠組みがあることは強みです。ただし、時間の枠だけでは腰は守れません。決められた時間の 中でも、量は前の週から急に増えることがありますし、疲れたままの一本は積み上がります。 そして、枠組みがどれだけ整っていても、痛みを言い出せなければ何も始まりません。漕手が痛みを隠す傾向は、複数の研究で実際に記録されています。海外のガイドライン が「文化」を挙げているのは、そこが最後に残る穴だからです。 日本の艇庫でいますぐ足せるものがあるとすれば、「腰が痛い」と 言った漕手が損をしない空気かもしれません。

正式な安全上の判断、練習の実施可否、体の状態についての結論は、この記事の役割では ありません。指導者・主催者の指示と、医療者の判断が最優先です。