こぎだし

TRAINING

ウォームアップとクールダウン — 何が期待でき、何は期待しすぎないか

準備運動と整理運動は、いつの間にか「なんとなく続いている習慣」になりがちです。公開されている研究が何を言い、何を言っていないのかを確かめたうえで、艇に乗る前後の時間を組み直します。

読了目安6分レベル入門公開日2026.07.14
桟橋の艇台に載って休むシングルスカルと、その手前に平行に横たえられた2本のオール。奥は穏やかな水面。乗艇の前後の静かな区切りの場面。

ウォームアップ(準備運動)とクールダウン(整理運動)は、練習メニューの前後に ついている「おまけ」のように扱われがちです。けれど、この時間の設計を変えるだけで、 その日の漕ぎの入り方は変わります。

一方で、期待しすぎてはいけない部分もあります。ここでは、公開されている レビュー論文とガイドラインが実際に何を報告しているかを見たうえで、 艇庫での10〜15分に落とし込みます。

ウォームアップは何のために行うか

一般的な理解としては、体温と筋温を上げ、心拍と呼吸を運動の水準に近づけ、 関節を動く範囲まで一度連れていき、その日の体の調子に気づく。この4つです。 運動前のウォームアップが直後のパフォーマンスに与える影響をまとめた システマティックレビュー(Fradkin ら、2010)では、検証された多くの評価項目で 改善が報告されています。

怪我については、もう少し慎重な言い方が必要です。器具を使わない神経筋系の ウォームアップ(動きの質・バランス・着地などを組み込んだ準備運動)が下肢の怪我を 減らしたとする研究のまとめ(Herman ら、2012)はあります。ただし対象は 若年の女子サッカー選手や軍の新兵などに偏っており、しかも「継続して実施できたかどうか」が 効果を大きく左右した、とも報告されています。ローイングの漕手にそのまま当てはめて 「準備運動をすれば怪我を防げる」と言い切れる根拠には、まだなっていません。

準備運動は保険ではありません。今日の体と、今日の漕ぎをつなぐための、 最初の一歩です。

動的ストレッチと静的ストレッチ — 研究が言っていること

運動前のストレッチについては、公開されている研究の蓄積があります。よく引かれるのは、 静的ストレッチ(同じ姿勢で止めて筋を伸ばす方法)を運動の直前に長く行うと、 直後の筋力やパワーが一時的に下がる、という報告です。ただし、ここには時間の条件が付きます。

1部位あたりの静的ストレッチ
60秒以下
60秒超で報告された低下
4–7.5%
Chaabene ら(2019)のレビューが整理した目安。1部位60秒を超える長い静的ストレッチでは筋力・パワーの一時的な低下が報告される一方、60秒以下では影響はごくわずかとされています。研究条件によって幅があり、個人差もあります。

さらに同じレビューは、短い静的ストレッチをウォームアップ全体の一部として行った場合、つまり体温を上げる運動や動的ストレッチ(体を動かしながら可動域を 広げる方法)と組み合わせた場合には、こうしたマイナスの影響はほとんど見られなかった、 とも報告しています。

日本の部活動では、集合してからまず全員で静的ストレッチを一通り、という流れを 見かけます。一方、日本スポーツ振興センターのハイパフォーマンススポーツセンターが 公開しているコラムでも、運動前には動的ストレッチが勧められ、静的ストレッチは 瞬発的な運動能力を下げうると説明されています。海外の公開レビューが示す方向と、 日本の公的機関の説明は、じつはずれていません。ずれているとすれば、現場の習慣のほうです。

ローイングの現場に落とす

ローイングの準備は、体を動かし始めるより前の、艇を出す作業からすでに始まっています。 艇やオールを運ぶ動きは、それ自体が体への負荷です。冷えた体でいきなり重いものを 担ぎ上げないこと。これが最初の一手になります。

そのうえで、陸上で体温を上げ、動きを起こし、エルゴメーター(ローイングマシン)や 乗艇の導入で、低いレート(1分あたりの漕ぎ数)から漕ぎの順番を思い出していきます。 下の目安は、あくまで一例です。

準備の合計時間
10–15
体温を上げる区間
5–10
導入のレート
18–22spm
spm はレート(1分あたりの漕ぎ数)の単位。気温・練習内容・艇種・その日の体調で大きく変わります。チームの方針と指導者の指示が優先です。
  1. 艇の準備そのものを、準備運動と考える
    艇とオールを運ぶ動きは、すでに体への負荷。急がず、腰を落として持ち、声を掛け合って上げ下ろしする。
  2. 体温を上げる
    軽いジョグ、その場でのステップ、エルゴメーター(ローイングマシン)での軽い漕ぎ。会話ができる強さで、じわりと温める。
  3. 動かしながら伸ばす
    動的ストレッチ(体を動かしながら可動域を広げる方法)。脚の振り上げ、股関節を回す、体幹をひねる。止めずに、動く範囲を少しずつ広げる。
  4. 漕ぎの動きを分解して起こす
    腕だけ、上体まで、ハーフスライド(シートを可動域の半分まで出した位置)と、少しずつ動きを大きくする。ドリル(漕ぎの一部だけを取り出す練習)で、脚・体幹・腕の順番を思い出す。
  5. 短く強度を上げる
    数本だけ強く漕ぎ、その日の体の反応を見る。ここで違和感があれば、無理に押し通さず指導者に伝える。
  6. 間を空けずに漕ぎ出す
    温まった体は、待つほど冷めていく。準備は乗艇の直前に仕上げるのが基本の考え方。

レース前も、考え方は同じです。艇の点検や招集で待ち時間が生まれるぶん、 「いつ仕上げるか」の設計がより重要になります。艇上で短い高強度の漕ぎを入れ、 そのあと回復する時間を残してスタートに向かう。この組み立てをレース当日に 初めて試さず、練習のなかで一度なぞっておくと、当日の不安が減ります。

クールダウン — 期待できること、期待しすぎないこと

クールダウンについては、はっきりさせておきたい報告があります。運動後の アクティブなクールダウン(軽く体を動かし続ける整理運動)を対象にした ナラティブレビュー(Van Hooren・Peake、2018)は、次のように整理しています。 血中の乳酸は確かに速く下がるが、筋のなかの乳酸まで速く下がるとは限らない。 筋肉痛(遅発性筋痛)を意味のある程度に減らすとは言えない。怪我を防ぐとも言えない。 当日のパフォーマンスの回復にはほとんど効かず、翌日以降にわずかな利点を 報告した研究はある。そして、日常的に行っても長期のトレーニング効果を 損なうことはなさそうだ。

ストレッチにも同じことが言えます。運動の前後のストレッチが筋肉痛を減らすかを 調べたコクランレビュー(Herbert ら、2011)は、健康な成人では、実用上意味のある 程度には筋肉痛を減らさないと結論づけています。

軽く動かす時間
5–10
整理漕のレート
16–20spm
一例です。練習量・水面の状況・艇種で変わります。時間も強度も、指導者の指示を優先してください。

それでも、やる意味はあります。整理運動には、報告されている範囲での効果と、数値に表れない役割が あります。心拍と呼吸を落ち着けて日常に戻す。その日の体のどこに疲れが残ったかを、 静かな漕ぎのなかで確かめる。艇を上げ、洗い、点検する時間そのものが区切りになる。 少なくとも害はほとんど報告されていません。

期待してよいのはここまで、と知ったうえで続ける。「乳酸を流すため」「筋肉痛を防ぐため」と 説明されてきたことの多くは、公開されている研究の裏づけが弱い。その事実を知っておくと、 クールダウンを削って早く帰りたい日にも、逆にクールダウンさえすれば大丈夫だと 思い込む日にも、判断を誤りにくくなります。