練習で体に入れた刺激は、その場で力になるわけではありません。刺激を受け取り、 修復し、少しだけ強い状態に作り直す——このリカバリー(練習の刺激から体が回復し、 作り直されていく過程)の多くは、眠っているあいだに進むと考えられています。
だから睡眠は「練習が終わったあとの余り時間」ではありません。 練習メニューと同じように、意識して設計する対象です。
眠りを削ると、何が起きると言われているか
断定はできません。ただ、公開されている研究では、睡眠時間が短い状態が続くことと、 怪我や不調とのあいだに関連があると報告されています。たとえば米国の高校生アスリート 112人を対象にした調査では、夜の睡眠が8時間未満の選手は、8時間以上の選手にくらべて 怪我の報告が多いという関連が見られました(およそ1.7倍)。
これは限られた人数の調査で、「眠らないと必ず怪我をする」という因果関係を示すものでは ありません。それでも、睡眠を先に削る習慣は、体に無理をさせる方向に働きやすい。 そう受け取っておけば十分です。
取り返すより、崩さない。睡眠を毎日の練習に近いものだと考えると、 扱い方が見えてきます。
何時間眠ればいいのか
目安は下のとおりです。ただし、この数字は「ここを下回ったら異常」という線ではなく、 多くの人にとって必要な時間が収まりやすいレンジにすぎません。
海外のスポーツ医学の専門家による2021年の合意声明は、さらに踏み込んで、 「すべての選手に一律の時間(たとえば7〜9時間)をあてはめる考え方は、 健康にもパフォーマンスにも理想的とは言えない」としています。競技も、練習時間帯も、 体質も違うのだから、自分に必要な時間は自分で見つけるしかない、という立場です。
一方で、日本のトップ選手111人を腕時計型の計測器(アクチグラフ。動きから睡眠を 推定する機器)で測った国内の報告では、実際に眠っていた時間の平均は6時間半ほどで、 3割ほどの選手が6時間未満でした。目安のレンジと、現実にはひらきがあります。 これは日本の高校漕手全体の数字ではありませんが、「足りていないのは自分だけではない」 こと、そして「足りていない状態が普通になりやすい」ことの、両方を示しています。
朝練と学業のあいだで、眠りを設計する
学生漕手の一日は、そもそも眠りに不利にできています。海外の合意声明も、 午前8時より前に始まる早朝練習を、選手の睡眠を脅かす要因のひとつに数えています。 さらに思春期には、眠りに関わるホルモンが出はじめる時刻が後ろにずれ、 もともと夜型に傾きやすい。朝練は早く、体は遅く眠りたがる。この板挟みが実態です。
変えられないもの(朝練の時刻)を嘆くより、変えられるものから手をつけます。
- 起床時刻を先に固定する休日も、平日との差をできるだけ小さくする。体内時計は、就床時刻より起床時刻で整いやすい。
- 朝の光と、朝食起きたら光を浴び、朝食を抜かない。厚生労働省の睡眠ガイドが、こどもの夜ふかし対策として挙げている基本。
- 就床時刻を逆算する起床時刻から、必要な睡眠時間ぶんを引く。そこが「間に合わない」なら、削るのは睡眠ではなく、その手前の予定です。
- 夕方以降のカフェインを控えるコーヒー、お茶、コーラ、エナジードリンク。含まれる量は飲み物によって大きく違う。
- 昼寝は短く、早い時間に20〜30分ほどで切り上げる。長くとりすぎると、目覚めた直後のぼんやり感(睡眠慣性)が強く出やすい。
カフェインは、眠気の合図をさえぎって効いているだけで、眠気そのものが消えるわけではありません。 切れたときに眠気がまとめて戻ってくるうえ、体から抜けるまでには時間がかかります。
半減期が5時間の人なら、夕方に飲んだ1杯は、就寝時刻になってもまだ半分が体に残っている 計算になります。夜に眠れない原因は、朝や昼の選択にあるのかもしれません。
合宿・遠征・大会前夜の眠れなさ
環境が変わると眠りにくくなるのは、自然なことです。オーストラリアのトップ選手283人への 調査では、過去1年のうちに「大切な大会の前夜、いつもより眠れなかった」ことがある選手が 3人に2人ほどにのぼりました。いちばん多かった訴えは寝つけないことで、理由として挙がった のは、試合のことを考えてしまう、緊張する、といったものでした。多くの選手が、同じ夜を過ごしています。
同じ調査で目を引くのは、対処法の有無です。個人競技の選手にくらべ、団体競技の選手のほうが 「対処法を持っていない」と答えた割合が高いという結果でした。眠れないこと自体より、 眠れなかったときにどうするかを決めていないことのほうが、当日に効いてきます。
眠れない一夜より、それを怖がって毎晩を削ってしまうことのほうが、重くのしかかります。
できることは、環境をいつも通りに近づけることと、手順を決めておくことです。 海外の合意声明が挙げる寝室環境の要点は、光・音・電子機器を減らすこと、 そして室温です。
- 「いつも通り」を持っていく枕カバー、アイマスク、耳栓。荷物として軽く、環境の変化を小さくする効果は大きい。
- 眠れなかったときの手順を、先に決めておく起き上がって静かに過ごす、呼吸を整える、本を読む。何をするかを前もって決めておけば、焦りが一つ減る。
- 眠れない夜を、失敗にしない横になって体を休めること自体に意味はある。時計を何度も見て、眠れない自分を責めないこと。
眠れない状態が続くときは
生活を整えても、日中の強い眠気が続く。夜に何度も目が覚める。いびきを指摘される。 寝つくまでに毎晩30分以上かかる。こうした状態が続くときは、生活習慣の問題ではなく、 睡眠障害が隠れている可能性があります。
この記事にできるのは、そこまでを伝えることだけです。眠れない状態が続くなら、 我慢して練習を続けず、医療機関に相談してください。 それが、体を守るための正しい手順です。
