こぎだし

TRAINING

レース中、体は何を使っているのか — 秒単位で交代する三つの仕組み

レースは数分で終わります。その数分のあいだに、体はエネルギーの作り方を何度も切り替えている。どの仕組みが何秒もつのか。数字で見ていくと、練習のレストの意味や、レース後の苦しさの正体まで、つながって見えてきます。

読了目安10分レベル発展公開日2026.07.26
水面を進むシングルスカルを横から見た線画。艇の上方に、時間の経過を表す細く淡い横線が一本引かれ、その線上に短い区切りの印が三つ並んでいる。エネルギーの供給が時間とともに切り替わることを示す図。

エネルギー供給と強度区分の記事では、体がエネルギーを作る三つの仕組みを「三つの財布」にたとえました。 すぐ出せる小銭の財布、糖を急いで崩す財布、酸素を使ってじっくり払う財布。 この記事は、その続きです。

今回のテーマは時間です。それぞれの財布は、何秒もつのか。 いつ主役が入れ替わるのか。使い切った財布は、どれくらいで戻るのか。 ここが分かると、「スタート練習のレストを削ってはいけない理由」も、 「レース後に乳酸をどうにかしようとしても意味が薄い理由」も、 同じ一本の線の上に並びます。

それぞれの財布は、何秒もつのか

まず、いちばん短い財布から。筋肉の中にあらかじめ置いてあるクレアチンリン酸(PCr。使うとすぐエネルギーになる物質)を使う仕組みです。 査読論文の総説によれば、最大努力ではこの仕組みが主役でいられるのは5〜6秒ほど。しかも高強度の収縮を始めた瞬間が分解の最速で、そこから 1.3秒以内には速度が落ち始めます。全力を続ければ、10秒以内に 底をつくこともあります。

二つめ、糖を急いで崩す仕組み(解糖系)。 こちらは「数秒経ってから始まる」のではありません。6秒のスプリントの 時点で、すでにATP(筋肉を動かすエネルギーの通貨)のおよそ半分を この仕組みが作っています。ただし持続しません。30秒の全力運動では、 最初の約15秒を過ぎたあたりで分解の速度がはっきり落ちていきます。

三つめ、酸素を使う仕組み(有酸素系)。 こちらは逆に、立ち上がりに時間がかかります。World Rowing(国際ボート連盟)の 指導者向け教本は、酸素を運んで使う仕組みが十分に働き出すまでおよそ60〜90秒かかる、と書いています。スタート直後に前の二つが必要になるのは、 このためです。

では、無酸素の仕組みと有酸素の仕組みは、どこで並ぶのか。 ここには、はっきりした数字があります。

PCrの仕組みが主役でいられる時間
5–6
有酸素系が十分に立ち上がるまで
60–90
無酸素と有酸素の寄与が並ぶ時間
78.6
「並ぶ時間」は、102の研究・311のデータ点を集めた系統的レビュー(2026年)が算出した値で、95%信頼区間は±1.1秒。走・自転車での最大運動が対象で、鍛錬度による差は認められませんでした。25年前の古典的レビューが示した「およそ75秒」ともほぼ一致します。60〜90秒はWorld Rowingの指導者向け教本の記述。5〜6秒は査読総説の値です。運動様式・個人によって動きます。

2000mのレースは、およそ5分半から7分半。つまり最初の1分ちょっとだけが無酸素の側が優勢で、残りの大半は有酸素の時間だということになります。体感がいちばん苦しいのはスタート直後なので、 記憶はそこに引っ張られます。けれど、エネルギーの総量で見れば景色は違います。

2000mの内訳 — 数字に幅がある理由

では、2000mレース全体ではどういう配分になるのか。公開されている値を 並べると、幅があります。この幅そのものに意味があるので、 ひとつの数字に丸めずに見ていきます。

ローイングの2000mを扱った査読総説は、有酸素系の寄与をおよそ67〜88%としています。World Rowingの指導者向け教本は、もう少し狭く 「ATP-PCrの反応が5%未満、無酸素性の解糖が20〜25%、有酸素代謝が75〜80%」。 いっぽう、ドイツのU23代表クラスの漕手を実測した2023年の研究では、 酸化系77.5%・解糖系11.5%・PCrの系10.9%という内訳が報告されています。

有酸素系の寄与(総説の幅)
67–88%
無酸素系の寄与(同)
12–33%
2000mの所要時間
5.5–7.5
2021年の査読総説がエリートのレースについて示した幅です。艇種・性別・環境で変わります。同じ2000mでも、推定に使う方法(酸素摂取量、運動後の余分な酸素消費、血中乳酸のどれをどう組み合わせるか)によって、とくに『PCrの系』の値が大きく動きます。単一の正解はありません。

幅が出る理由は、主に測り方です。体の中を直接のぞける わけではないので、どの研究も酸素の使われ方や血中の乳酸から逆算しています。 その組み立てが違えば、答えも動く。ある研究はPCrの系を7%とし、 別の研究は18%とします。「どれが正しいか」ではなく、 「どの方法で測った値か」を添えて読むのが正確な態度です。

レースのどこで有酸素系が効いているかについては、同じ総説が はっきり書いています。有酸素系が主に働くのは第2から第4の500m区間。いっぽう解糖系は、スタート直後に急いで立ち上がったあとも、 レース全体を通じて意味のある寄与を続けます。三つの仕組みは 交代で登場するというより、比率を変えながら重なり続けています。

スタートの数本と、レストの意味

ここからが、練習に直結する話です。使い切ったPCrは、どれくらいで戻るのか。

30秒の全力運動のあと、PCrがどこまで戻るかを筋肉から直接調べた研究が あります。1分半でおよそ65%、6分たっても85%ほど。 戻り方は二段階で、速い成分の半減時間が21〜22秒、遅い成分は170秒を超えます。 最初の20〜30秒でぐっと戻り、そこから先はゆっくり、という形です。

30秒全力の1分半後
65%
同じく6分後
85%
速い成分の半減時間
21–22
いずれも成人男性を対象に、筋肉を採取して直接測った研究の値です(1976年・1995年)。%は安静時を100としたときの回復の程度。運動の内容、枯渇の程度、筋内の酸性度によって変わり、完全に戻るには5分未満から15分超まで幅がある、と総説は述べています。中高生を対象とした値ではありません。

そして、この記事でいちばん面白いのがここです。同じ研究チームは、 回復中に脚の血流を止める実験もしています。結果、PCrの再合成は完全に止まりました。血流を戻すと、また始まった。別の実験では、運動後の筋肉を酸素のある 環境に置くとPCrは戻り、窒素の中では戻りませんでした。

全力を出す力を取り戻しているのは、酸素を使う仕組みです。 スタート練習のレストは、有酸素の土台に支えられています。

つまり「短くて強い練習の質」は、休んでいる時間に何が起きるかで決まり、 その回復を支えているのは有酸素の力だということです。 レストを削れば、二本目以降は前の本と同じ質では漕げません。実際、 休みをはさんだ二本目のパワーの戻り具合は、PCrがどこまで戻ったかと 高く相関していました。

しかも、この「戻る速さ」自体が練習で変わります。2週間に6回、 30秒の全力インターバルを数本ずつ行っただけで、PCrの回復にかかる 時間の指標が約14%短くなった、という報告があります。 具体的なメニューの組み立てはANの練習スタート練習に譲ります。

乳酸は、疲労物質ではない

ここで、艇庫でいちばんよく聞く言葉を扱います。「乳酸がたまる」。 この言い方は、現在の生理学から見ると、いくつもの点でずれています。

2022年の査読総説は、冒頭でこう書いています。乳酸はもはや、行き止まりの代謝産物でも、疲労を起こす物質でも、代謝の毒でもない、と。酸素が十分にある組織でも乳酸は作られていて、心臓や遅筋、 脳では、ブドウ糖や脂肪酸より優先して使われる燃料です。 運動でできた乳酸の大部分は、そのまま燃やされて消えていきます。

「酸性になるのは乳酸のせいだ」という説明も、2004年の総説が正面から 否定しています。そこでの結論は、むしろ逆でした。乳酸を作る反応は 酸性化を遅らせる方向に働いており、もし乳酸を作らなければ 酸性化も疲労ももっと早く来るだろう、と。

この誤解には出どころがあります。総説によれば、20世紀初頭の研究に さかのぼり、その後の教科書が「酸素が足りないから乳酸ができる」という 筋書きを引き継いだ、とされています。百年かけて広まった言い方が、 いまも艇庫に残っているわけです。

もう一つ、はっきり否定できる誤解があります。「乳酸が翌日の筋肉痛の原因」。これは、時間の物差しを当てるだけで崩れます。

血中の乳酸が元に戻るまで
30–80
筋肉痛が出始めるまで
6–12時間
筋肉痛のピーク
48–72時間
乳酸の値は、成人男性を対象に全力運動後の回復を比べた2014年の研究から(何もしないと80分以内、軽く動き続けると30〜60分)。筋肉痛(遅発性筋痛)の時間経過は2024年の臨床レビューから。二つは別々の研究なので、直接この対比を述べた論文があるわけではありません。ただ、桁が二つ違うことは読み取れます。

乳酸が消えたあと何十時間もたってから痛みのピークが来るのですから、 原因としては筋が通りません。現在のレビューは、遅発性筋痛の原因を 伸ばされながら力を出す動作による細かな損傷と、そのあとの炎症反応として 説明し、乳酸を原因として挙げていません。

実務的な話も二つ。血中の乳酸がいちばん高くなるのは、運動が終わった直後ではなく、およそ4分後です。ゴールしてから苦しさが 増していく感じには、理由があります。そして軽く動き続けるクールダウンは、 何もしないより乳酸の処理が速い——ただし期待できる範囲には限りがあります。 この話はウォームアップとクールダウンで 詳しく扱っています。

最後に、トレーニングで何が変わるのか。よく言われる「乳酸が出にくくなる」より、さばく能力が上がると理解するほうが実態に近いようです。 鍛えた選手では、同じ強度での筋の酸性化が小さく、乳酸と水素イオンを 筋から運び出す輸送体が多い、と報告されています。

筋線維のタイプ — 決まっている部分と、動く部分

エネルギーの話は、それを使う筋肉の側にもつながっています。 筋線維は、大きくタイプI(遅筋)タイプII(速筋)に分けられ、タイプIIはさらに IIaとIIxに分かれます。

漕手の筋線維はどうなっているのか。軽量級の高度に訓練された男子18名の 太ももを調べた研究では、タイプIが68.6%、タイプIIaが31.4%、 そしてタイプIIxはほぼゼロでした。訓練していない 大学生の平均(タイプIが約41%)と比べると、遅筋の側に大きく寄っています。 ローイングの指導文献にも、成功している漕手では遅筋線維が70〜85%を占める、 という記述があります。

軽量級男子漕手のタイプI
68.6%
同・タイプIIa
31.4%
非訓練の大学生のタイプI(平均)
41%
漕手の値は、競技歴5〜11年の軽量級男子18名(うち4名は世界選手権優勝者)の太ももの筋肉を採取して調べた2016年の研究から。非訓練者の値は、大学生150名を対象にした2000年の研究の平均です。なお、同じ筋肉でも採る場所によってタイプIの割合は平均7ポイントほど違うと報告されており、一度の測定で「自分はタイプIが◯%」と決められるものではありません。

では、この割合はトレーニングで変えられるのか。ここは慎重に書きます。IIxからIIaへの移行は、はっきり起こります。 エリート漕手20名に8週間の筋力トレーニングを行った研究では、 遅筋型が54%から47%へ減り、IIa型が42%から50%へ増えました。 いっぽう、タイプIとタイプIIのあいだの移行については、2021年のレビューが 「シフトする能力を示唆する」としつつ、長期のデータは一貫したパターンに 収束していない、とも書いています。断定はできません。

遺伝の関与も無視できませんが、遺伝だけで決まるわけでもありません。 そしてここは、中高生にとって大事な話につながります。

明日の練習で使えること

細かい数字を覚える必要はありません。持ち帰るのは三つで足ります。

一つめ。短くて強い練習ほど、レストが練習の一部です。 全力を出し直す力は、休んでいるあいだに酸素を使って戻されています。 「休みを削って本数を増やす」は、多くの場合、二本目以降の質を削っています。

二つめ。「乳酸を出す/抜く」という言い方を、いったん手放す。 乳酸は疲労の犯人ではなく、燃料でもあります。翌日の筋肉痛の原因でも ありません。クールダウンには意味がありますが、それは「乳酸を流すため」 という説明ではないところにあります。

三つめ。いま自分の筋線維がどうであれ、伸ばせる部分は残っている。 遺伝で決まっている部分はありますが、それを検査で調べて進路を決めるような 使い方は、専門家の側がはっきり否定しています。測れるのは、2000mのタイムと、そこに至る練習だけです。

レースの5分半は、三つの仕組みの交代劇です。 交代を速くするのは、いつも土台にある有酸素の力でした。