漕手が出した力は、そのまま艇速になるわけではありません。水の上では艇体の まわりの水が、エルゴメーター(ローイングマシン)の上ではフライホイール (風を受けて回る羽根車)に当たる空気が、進もうとする動きに必ず逆らって きます。この「動きを妨げる抵抗の力」を、物理の言葉で抗力(こうりょく)と呼びます。
抵抗と聞くと敵のようですが、正体を知ると見え方が変わります。なぜ艇速の ムラが損なのか。なぜエルゴのレバーを重い側いっぱいにしても速くならない のか。なぜ「抜けすぎ」が嫌われるのか。ばらばらに見えるこれらの疑問は、 すべて同じ物理につながっています。まず水の上から、順番に見ていきましょう。
艇を減速させているものの正体
艇の進みを妨げる水の抵抗は、大きく三つに分けられます。一つめは摩擦抵抗。水と艇体の表面がこすれ合うことで生まれる抵抗で、濡れ面積(艇体が水に 触れている面積)が広いほど大きくなります。二つめは形状抵抗。艇が水を 押しのけて進むときに、船体のまわりに生まれる水の乱れによる抵抗です。 三つめは造波抵抗。艇が波を立てること自体がエネルギーの持ち出しになる、という抵抗です。
ふつうの船では造波抵抗が主役ですが、レーシングシェル(競漕用の細長い艇)は 例外です。極端に細長い形のおかげで造波抵抗と形状抵抗が小さく抑えられ、 抵抗の大部分を摩擦抵抗が占める。物理の公開解説は、その割合をおおよそ 8割と見積もっています。空気の抵抗はふだんは数%程度とされますが、強い 向かい風では大きく増えます。
もう一つ、押さえておきたい法則があります。水の抵抗の力は艇速のおよそ 2乗に比例して増え、それに打ち勝って漕ぎ続けるために必要な出力は、艇速の およそ3乗に比例して増えます。速く進むほど、同じ「あと少し」がどんどん 高くつきます。目安は下の通りです。
この「3乗」の法則から、艇速のムラが損になる理由がそのまま導けます。 平均すれば同じ速度でも、速い瞬間に余計に払う抵抗の増え分は、遅い瞬間に 浮く分より大きい。だから、同じ距離を同じ時間で進むなら、一定の速度で進むのがいちばん安上がりで、揺れれば揺れるほど割高になります。漕ぎという運動は、ドライブ (ブレード〈オールの先の、水をかく平たい部分〉が水中にあって艇を加速させる 局面)とリカバリー(ブレードが水から出て、次の入水へ戻る区間)とで、 構造上どうしても艇速が揺れます。ゼロにはできない。でも、その揺れを 小さく保つことには物理的な意味がある。これが、艇のラン(漕ぎと漕ぎの 間も艇が滑走し続けること)を大切にする理由の土台です。
ダンパーとドラッグファクターは、別物
エルゴメーターの上に話を移します。エルゴの側面には、1〜10の目盛りが 付いたダンパー(フライホイールに入る空気の量を調節するレバー)があります。数字を 上げるほど羽根車の箱に入る空気が増え、一漕ぎは重く感じられます。 ここでまず切り分けたいのは、このダンパーの目盛りと、ドラッグファクター(モニターが計算する、抵抗の効き具合を表す数値)が別物だ、ということです。
ドラッグファクターは、漕ぎと漕ぎの間にフライホイールがどれだけ速く 減速するかを、モニターがストロークごとに測って求める数値です。レバーの 位置が同じでも、気温や標高、羽根車の箱にたまったほこりで減速の仕方は 変わります。製造元のConcept2自身が、ある機体のダンパー6は別の機体では 4に相当するかもしれない、と説明しているほどです。だから、機体をまたいで 条件をそろえたいときに頼りになるのは、レバーの目盛りではなく、モニターに 表示できるドラッグファクターの数値のほうです(表示のしかたはモニターの 機種で異なるので、製造元の説明を参照してください)。
そして、いちばん誤解されやすい点。ダンパーは「負荷の強さ」を決める つまみではありません。Concept2はこれを自転車のギアにたとえています。 ダンパーが変えるのは一漕ぎの感触であって、運動の強さは、自分がどれだけ強く漕ぐかで決まる。しかも同社の 説明では、低いダンパーの感触は水をすっと切る軽快なレーシングシェルに、 高いダンパーの感触は重くのっそりした手漕ぎボートに近い、とされています。 つまりダンパー10は「速い艇」ではなく、どちらかといえばその逆です。推奨されている出発点も、下の通り真ん中より低めです。
使い分けの考え方も示されています。有酸素の長い漕ぎは低め、強さを 意識する日は少し高め。ただしどの設定でも、強く漕げば負荷は強くなる。 これがダンパーの大前提です。
スリップと抜けすぎ — 抵抗に負けるとき
水の上に戻ります。抵抗と組み合っているのは、艇体だけではありません。 ブレードも水の中で抵抗と向き合っています。ただしこちらは、良い意味で。 ブレードが水を押すとき、水は完全には止まっていてくれず、ブレードは 少しだけ後ろへ滑ります。これをスリップ(ブレードが水の中で後ろへ滑ること)と呼びます。物理の公開解説によれば、 スリップは推進のために多少は避けられないものの、エネルギーの面からは できるだけ小さくすべきもの。ブレードが大きく滑るほど、出した力が 艇を進めることではなく、水そのものを後ろへ動かすことに使われて しまうからです。
この視点から見ると、フォームのエラーの意味がはっきりします。 ウォッシングアウト(抜けすぎ。まだ水を押せる区間で、ブレードが早々に 水面から出てしまうこと)は、水の抵抗を最後まで押し切れずに、仕事の距離を 手放している状態。ブレードが水しぶきを立てて滑るのは、捉えた水を保て ていないサイン。どちらも、言ってみれば「抵抗に負けている」漕ぎです。 抜き際の直し方はフィニッシュとリリースに、一漕ぎ全体でのブレードの扱いはブレードワークの基本にまとめてあります。
水の重さは、敵ではありません。押し切った分だけ、艇を進めてくれる相手です。
エルゴが強いことと、艇が速いこと
最後に、エルゴと水上の関係を物理の言葉で整理します。エルゴのモニターは、 ハンドルに入れた仕事をフライホイールの回転から計算して、ほぼそのまま 成績にしてくれます。水上はそうではありません。出した仕事のうち艇の前進に 変わる割合は、ブレードのスリップ、艇速のムラ、艇を安定させる技術に よって変わります。同じ出力でも、艇速は同じにならないのです。
もう一つの違いが、ランの有無です。水上では、リカバリーの間も艇は滑走を 続けていて、漕手の体の運び方がその滑走を助けもすれば殺しもします。 エルゴは床に据えられていて、体をどう運んでもフライホイールの減速の しかたは変わりません。それを決めるのはダンパーと機体の状態だけです。 つまりエルゴは、出力を測る物差しとしては優れていますが、出力を艇速に変換する技術までは測ってくれない。エルゴが強い人がそのまま速い漕手とは限らないのは、努力不足でも謎でも なく、この物理的な理由によります。
だからといって、エルゴが水上と無関係なわけではまったくありません。 抵抗が速度の2乗で増え、必要な出力が3乗で増えるという法則そのものは、 水の上でもエルゴの上でも同じです。出力の土台はエルゴで作り、それを 艇速に変える効率は水の上で磨く。エルゴでのレート(1分あたりの漕ぎ数)との付き合い方はエルゴのレート管理入門に、艇を走らせ続ける考え方は艇のランを伸ばすにまとめてあります。
次の練習で試せる一歩
次にエルゴに座るとき、試すことは一つでいい。いつも使う機体の ドラッグファクターを、一度モニターに表示させて、数値で知っておくことです。 レバーの目盛りではなく数値で覚えておけば、別の機体でも同じ条件を再現 できますし、「重くすれば強くなる」という誘惑からも、少し距離を置けます。 そして水の上では、静かに一定のペースで長く漕ぐ時間こそ、抵抗との 付き合い方を体で覚える時間です。
ここまでに挙げた考え方や数字は、いずれも海外の公開資料をもとに整理した ものです。艇種やクルー、機体の状態、その日の条件で、最適な答えは動きます。 正式な指導と安全の判断は、指導者と、必要なら医療者に委ねてください。
