練習メニューに「今日はAT」と書かれていて、どれくらいの強さで漕げばいいのか つかみきれない。そういう戸惑いは自然なものです。名前は難しいのですが、 ATの体感はシンプルです。「もうひと言ずつしか話せない」あたり。 それ以上は上げず、それ以下にも落とさず、その一帯を保ち続ける練習です。
これは基礎レベルの練習です。前提として、UT2・UT1という低強度の土台 (会話できる強さで長く漕ぐ帯)で、ある程度の量を積んでいること。まだ自分がどの帯で 漕いでいるかを読めない段階なら、先に 強度ゾーンの読み方 から始めてください。AT(Anaerobic Threshold。無酸素性作業閾値。ざっくり言えば 「これ以上ペースを上げると急に苦しくなる」境目)は、その地図のちょうど真ん中あたりに 位置する帯です。
目的 — 苦しさが急に増える、その境目を押し上げる
ATでいちばん変わるのは、「まだ粘れる強さ」の上限です。 境目より下のペースなら、体は長く保てます。ところが境目を超えると、 同じ数拍レートを上げただけでも、苦しさが一気に増していく。ATは、その境目のすぐ手前で 漕ぎ、境目そのものを少しずつ後ろへずらしていく練習です。同じ苦しさを感じ始めるペースが、 じわじわと速くなっていきます。
この帯を鍛える値打ちは、レースの後半にそのまま出ます。 英国代表(GB Rowing Team)の解説でも、この中間の強度の狙いのひとつは 「有酸素主体から無酸素主体へ切り替わる点を遅らせること」だと説明されています。 切り替わる点が遅れるほど、苦しさが爆発する地点を後ろへ送れる。だから、 レース終盤で失速しにくくなるのです。
ATは名前に「無酸素(Anaerobic)」と 付きますが、英国代表が公開している対応表では、ATは高強度ではなく中強度に分類されています。高強度に入るのは、ATのすぐ上のTRから。 つまりATは「高強度の入り口」というより、「長く続けられる強さの、いちばん上」と捉えるほうが、実態に近いのです。全力の一歩手前で、 我慢して保つ帯です。
乳酸(強く動いたときに増える物質)が体の中で何をしているのか、なぜ境目ができるのか。 その仕組みには、ここでは立ち入りません。処方(何をやるか)に徹します。 仕組みを知りたくなったら エネルギー供給と強度区分へ。ATが5つの帯のどこにあるかは 強度ゾーンの読み方にまとめてあります。
所要時間 — きついのは、真ん中の一部だけ
このメニューの所要時間はおよそ30〜70分です。ただし、その全部が きついわけではありません。境目の強さで実際に漕ぐ「仕事」の部分は、合計しても 18〜24分ほど(Concept2の手引きの目安)。前後には、少し長めのウォームアップと クールダウン(この帯は各10〜12分ほど)が入ります。
英国代表の資料では、ATのセッション全体を50〜90分としています。これは準備や 流しまで含めたセッション全体の枠で、しかも代表クラス向けの量です。 初心者がまず身構えるべきは、真ん中の18〜24分を 「境目の強さで、崩さず保てるか」のほうです。
強度 — 心拍の数字より、話せるかで捉える
ATの強さの目安を、公開資料の数字で見てみましょう。いずれも幅(レンジ)で示します。 単一の断定値にはできません。
そして、いちばん頼れる物差しは、やはり「話せるか」です。 ATは、ひと言ずつなら話せるが、強く呼吸しているあたり。UT2のように 楽な会話は続きませんが、TRのように声も出ない、というほどでもありません。 英語圏で talk test(会話テスト)と呼ばれる、この単純な窓が、道具のいらない目安になります。
心拍の数字を信じすぎないほうがいい理由も、この帯にはあります。ATが最大心拍の どのあたりに来るかは体力しだいで大きく変わり、およそ50〜85%と広く開きます(Concept2の手引きの記述)。鍛えられている人ほど、より高い心拍まで境目が来ません。 「220−年齢」で出す最大心拍の推定にも±15〜20拍/分ほどの誤差があります。だから、 同じ「80%」でも意味する強さは人によって違う。最後は、 「その強さを、最後まで同じように保てたか」で判断します。
実施方法 — 閾値インターバル
ATは、長めの一本を中くらいの休息で区切る閾値インターバルで組みます。 エルゴメーター(ローイングマシン)でも水上でも、考え方は同じです。 手順は次の5つで足ります。
- ウォームアップを10〜12分この帯は準備を少し長めに取ります。軽く漕いで心拍と呼吸を段階的に上げ、境目の強さに入る前に体を温めておく。冷えた体でいきなり境目には入りません。
- 6〜10分の一本を、境目の強さで漕ぐConcept2の手引きは、ATを6〜10分の中くらいの長さのインターバルとしています。狙うのは「ひと言ずつなら話せる」強さ。速すぎず、落としすぎず、その一帯を一本のあいだ保ち続けます。
- 休息は、漕いだ時間の半分ほど手引きの目安は休息50%。6分漕いだら3分休む、という比率です。心拍が落ち着ききる前に次の一本へ。TRやANほど長くは休みません。境目の強さに、体を居させ続けるのが狙いだからです。
- 本数は、3本前後から手引きの具体例は3×6分(休息3分)。合計の仕事時間18〜24分に収まる本数から始めます。 スプリット(500mを進むのにかかるタイム)が垂れてきたら、そこがその日の上限です。 崩れた一本を足しても、境目を押し上げる練習にはなりません。
- クールダウンを10〜12分安静時心拍の2倍程度の、ゆるい漕ぎで終える。急に止めず、体を下ろしていきます。ウォームアップと同じくらいの長さを目安に。
ATでうまくいっている合図は、速く漕げたことではありません。最後の一本まで、 最初の一本と同じ強さを、崩さず保てていることです。
注意点 — 境目を、超えない
ATでいちばん気をつけたいのは、境目を超えてしまうことです。 この帯は「まだ粘れる強さの上限」で漕ぐのが目的なのに、つい上げてしまうと、 すぐ隣のTR(酸素を運ぶ力を上限まで使う高強度の帯)に入ってしまいます。 そうなると、狙いも、体への負担も、別の練習に変わります。
もうひとつは、入れすぎです。ATは中強度の帯で、ほぼ糖質を燃料に するため、UT2のように大量には積めません。公開資料が口をそろえるのは、 練習の大半は低強度(会話できる強さ)であるべき、という点です。英国代表の解説では 週の8割超から95%が低強度。World Rowing(国際ボート連盟)が実測した一流漕手の配分でも、 準備期で低強度が86〜94%を占めていました。ATのような中〜高強度は、そのごく一部に収まります。
体調の窓も見てください。朝の安静時心拍が、いつもより6〜8拍/分以上高い日は、 戻るまで強度を上げない。これは古くからの目安の一つです。息苦しさや胸の違和感など、 いつもと違う症状があれば、その日は上げないでください。なぜ低強度がそこまで土台になるのか、 その体の仕組みは エネルギー供給と強度区分 にまとめてあります。ここでは「どれだけやるか」に徹します。
指導者向けポイント
見るべき点は二つ。境目を超えていないかと、最後まで保てているかです。
