艇を担いでポンツーン(浮き桟橋)に向かうと、そこに人が立っています。監視員(出艇の 前に、クルーと艇を確認する審判員)です。
身構えなくて大丈夫です。ただ、監視は通らなければ、水に出られない関門です。裏を返せば、通ってしまえば、あとは漕ぐだけになります。
この記事は、その関門で何を見られるのか、何を前の日までに直しておけば止まらずに済むの かを、順番に並べたものです。以下はすべて、2024年4月版の競漕規則・細則を読んで書き直 したものであって、条文そのものではありません。
監視で見られる、5つのこと
規則が「レースに出漕するクルーが受ける監視」として挙げているのは、次の5つです (2024年4月版)。
- クルーのメンバー構成
- 艇、オール、ユニフォームその他の服装
- 選手の計量を行う場合は、指定された場所での計量
- デッドウェイト(舵手の体重が規定に足りないときに、艇に積むおもり)の携行を命じ られた舵手については、乗り降りのときの携行の様子
- 艇の計量を命じられたクルーについては、指定された場所での計量
行われる場所は、原則としてクルーが出艇し、帰艇するポンツーンです。大会によっては、別の場所が指定されることもあります。
監視は艇庫ではなく、水際で、出る直前に行われます。そこで見つかった不備は、その場で直すしかない。直らなければ、 出られない。対策は、前の日までに済ませておくことだけです。
桟橋で、実際に何が起きているか
規則の条文は「何を見るか」までしか書きません。では、現場ではどうなっているのか。 潮来市が公開している、ある大会(第45回全日本中学選手権競漕大会)の審判長注意には、 こう書かれています。監視は、メンバー構成・ユニフォーム・ヒールロープ・バウボール などを確認するため、桟橋で、レースの出漕の都度行う。そして、監視を経ずに出漕することはできない。ヒールロープ等に不備があった場合は、改善されるまで出艇することができない。
「出漕の都度」です。1日に2レース漕ぐなら、2回通ります。そして不備があれば、その場 で足止めされます。発艇定刻のほうは、待ってくれません。
これは一つの大会での運用であって、すべての大会がこう書いているわけではありません。 それでも、規則が想定している監視の姿が、そのまま現場の言葉になっている例として、 読む価値があります。
艇と装備が満たしていること
規則は、艇と装備が満たすべき安全条件を定めています。数値は下のとおりです。
バウボール(艇首の先端につける白い球)は、ゴムまたはこれに類似の材質で、中空でない白色のもの を艇首に付けます。尖った先端を覆って、ぶつかったときの刺さり方を和らげる。いちばん 単純で、いちばん効く安全装置です。
クイックリリースフットストレッチャー(緊急時に、すぐ足が抜ける足留め)は、漕手が緊急時に速やかに艇から離脱できる形式で なければなりません。ストレッチャーが艇に残る形式なら、ヒールロープ(シューズのかかとと艇をつなぐ紐)で両足それぞれを独立して固定し、かかとが水平位置より上に上がらないようにします。靴ひもやマジックテープを開けないと足が抜けないつくりなら、片手で引く簡単な一動作で、両足が解放できることが必要です。ストレッチャーごと艇から外れる形式なら、手を使わずに両足が解放され るか、手が届きやすい紐・解除装置を片手で一操作すれば両足が解放されるか、そのどちら かであること。
舵手が乗る艇では、コックスシート(舵手が座る席)の開口部に、決められた大きさが求められます。転覆したときに、そこ から出られなければ意味がないからです。艇の浮力も同じ発想で、完全に浸水しても、 漕手のシート上面が一定より深く沈まないことが求められます。沈み切ってしまう艇は、 つかまる場所になりません。
これらを満たす責任は、クルーとその所属団体にあります。役員や審判が是正を指示したのに従わず、条件を満たさない艇で出漕した場合は、失格まで の罰則の対象になります(2024年4月版)。借りた艇でも同じです。先ほどの潮来市の審判長 注意も、安全対策は自艇か配艇かにかかわらず出漕団体とクルーの責任で行う、と明記して います。
規則が、競技者本人に求めていること
装備の話が続いたので、ここで人の話をします。規則は、競技者本人にも条件を置いてい ます。水泳能力です。
桟橋で泳がされるわけではありません。これは監視の5項目ではなく、水に出る前提として、規則が置いている条件です。落水は、レースでも練習でも起きます。冷たい水の中で、艇からも離れてしまった とき、この2つができるかどうかが、そのまま結果を分けます。
監視は、クルーを落とすための関門ではありません。落水したときに、足が抜けるか。 それを見ています。
航行規則 — 水の上の交通ルール
航行規則(トラフィックルール。水域のどこを、どちら向きに、どう進むかの決まり)は、競漕規則 の条文には書かれていません。大会要項と、代表者会議(大会の前に各団体の代表が集まり、運営上の決定事項を確認する会議)で示されます。 クルーには、これを熟読し、理解し、従う義務があります。「知らなかった」は理由になり ません。
規則がはっきり名前を挙げているのは、たとえばこうしたことです。レース艇が近づいてきたら、競漕水域の外側で停止する。スタートライン上・フィニッシュライン上で停止しない。航行規則に違反すると、指導、またはイエローカード(警告のうち重いほう。同じ勝ち上がりの段階のなかで2回受けると、その種目から除外され ます)の対象になります(2024年4月版)。
ここで見落とされがちなことが、2つあります。1つめ。これは、レース中だけの話ではありません。指導や警告は、レース前の回漕中(スタート地点へ向かうために漕いでいるとき)にも、 レース終了後にも、そして練習中にも与えられることがあります。2つめ。具体的な距離や手順は、規則ではなく、大会が決めます。
つまり、この記事を読んでも航行規則は分かりません。分かるのは「航行規則という、読むべきものが存在する」ということだけです。要項の該当ページを、クルー全員で、出艇の前に読んでください。
レース中に、やってはいけないこと
水に出て、スタートに着いた。ここから先の禁止事項は、クルーだけでなくクルーの関係者(コーチ、保護者、応援に来た部員)にもかかります。
艇の外から、電気式・電子式の装置を使ってクルーに助言や指示を与えることは、手段や方法を問わず禁止されています。競漕委員会(大会の運営を統括する委員会)の 許可なくコースに沿って伴走することも、審判長(その大会の審判を統括する審判員)の許可 なく船艇をレースに随伴させることも、同じです。応援は定められた場所で行い、拡声器などの電気式の機器は使いません。違反した場合、関係者だけでなく当該クルーにも処分が及びます(2024年4月版)。先ほどの潮来市の審判長注意でも、自動車・自転車による 伴走を発見した場合、競漕委員会は当該団体に対して除外・失格を含む措置を行う、と書かれ ています。
そして、いま増えているのがこの話です。レース中に艇内で計測・記録・保存してよいデータは、決められたものしかありません。
ここでいう「レース中」は、発艇から漕了(フィニッシュラインへの到達)までではあり ません。潮来市の審判長注意は、これを「レース用の航行ルールが適用されている全時間帯」と書いています。World Rowing の規則も、まったく同じ言い方をしています。回漕も クールダウンも、この中に含まれるということです。
あわせて。水の自然な物性や、船体と水の境界面の物性を変えるような物質・構造を使うこと、 そして各種の検査・検量を拒んだり、妨げたりすることは、失格の対象です(2024年4月版)。
World Rowing では、どうなっているか
ここまでが国内の話です。では国際規則(World Rowing Rules of Racing。2025年3月版)は どうか。実際に読んでみると、ほとんどが同じで、一箇所だけ、はっきり違います。
監視という関門は、国際でも同じ
国際規則にはControl Commission(コントロール・コミッション。艇庫エリアと出艇ポンツーンで、クルーと装備を確認する、 審判団の一部門)があります。規則はその役目を「クルーの構成が正しいこと、装備が整って いることを確かめる」と定め、細則は「艇庫エリアと出艇ポンツーンで職務を行う」と定めています。日本の監視と、場所も範囲も、ほぼ重なります。
「通らなければ出られない」も同じです。国際規則は、審判団のメンバーは、そのクルーが自分自身または他のクルーにとって危険だと考える 場合、水に出ることを禁じることができる、とはっきり書いています。
国際のほうが広いのは、Control Commission が受け持つ仕事の範囲です。国籍と年齢の確認、 レース前のメンバー変更の受理、ドーピング検査の対象者を特定する手助け、さらにクールダウン中や練習中に与えられた処分への異議を受け付け、裁定することまで含まれます。国内では、監視員は確認する人であり、異議は処分を下した審判に申し出る、 と役割が分かれています。
バウボール・ヒールロープ・寸法は、ほぼ同じ
バウボールは直径4cm以上、白で、国内と同じです。ただし国際規則は、材質を指定しません。代わりに「横から力を加えても、大きくたわまないように固定されていること」、船体と一体になっているものなら「同等の保護と視認性があること」を求めています。国内は材質から書き、国際は機能から書いている。目指しているものは、 同じです。
ヒールロープも同じ考え方でした。国際規則も、両足それぞれを独立して固定すること、 靴ひも等がある場合は手の届きやすい1本のストラップを片手で引く一動作で、すぐに両足が解放できることを求めています。
コックスシート開口部(長さ70cm・幅50cm)、浸水したときの沈み込み(5cm)、ブレード厚 (スウィープ5mm・スカル3mm)は、数値まで同じでした。水泳能力も50m・3分で同じ。ただし国際規則は、それを保証し証明する責任を各国の協会(加盟連盟)に置いています(マスターズ種目は本人)。国内規則は、競技者本人に求める形です。
許可データだけは、国際のほうが広い
ここが、この記事でいちばん覚えて帰ってほしいところです。
つまり、国内規則のほうが狭い。国際大会で合法に積める計測機器が、国内大会では許可データの範囲を超えてしまうことが ある、ということです。「World Rowing で認められているから大丈夫」は、通りません。
逆もまた同じで、国際規則には国内にない縛りがあります。レース中に、許可データをさらに加工して、クルーに追加の情報や助言を与えてはならない、というものです。データを取ってよいことと、それをレース中に使ってよいことは、 別だという考え方です。
航行規則は、国際のほうが具体的
国際規則は、主催者に練習用とレース用の両方の航行規則を公開させ、クルーが水に出るポンツーンの脇に、大きな掲示で出すことまで義務づけています。そして、責任を分けて書いているのが特徴です。理解させる責任はチームマネージャー(チームを代表して大会とやりとりする責任者)に、従う責任は漕手一人ひとりにあります。
ウォームアップ中・クールダウン中のクルーについては、名指しで3つを禁じています。 レース艇が自分の位置に近づいてきたら停止する。レース艇がフィニッシュしている最中に、フィニッシュラインをどちら向きにも横切らない。そして、出漕していないのに、コースの全部または一部でレースを追いかけない(ブイの外側であっても)。3つめは、国際規則がはっきり言葉にしている点です。「ブイの外にいるから大丈夫」は、 国際の水域では通りません。
逆向きに進む艇どうしを分けるレーンの考え方も、同じでした。国内規則の緩衝レーン(競漕レーンと回漕レーンの間に置く、艇が航行しないレーン)にあたるものを、国際規則もニュートラルレーンとして最低1本求めており、用意できない場合は、水面上の連続した仕切りで分けることを 求めています。
前日までに、済ませておくこと
ここまでを、桟橋で止まらないための手順に畳み直します。全部、艇庫でできることです。
- ヒールロープを、1本ずつ引く両足それぞれが独立して固定されているか。かかとが水平位置より上に上がらないか。緩んでいないか、切れかけていないか。潮来市の審判長注意が「不備があった場合は、改善されるまで出艇することができない」と名指しで書いているのが、ここです。
- バウボールを、指で押してみる付いているか。白いか。ぐらつかないか。ぐらつくバウボールは、国際規則が求めている「横から力を加えても大きくたわまない」状態から外れています。
- 足留めの解放を、陸の上で試す靴ひもやマジックテープを開けないと足が抜けない艇なら、片手で引く一動作で両足が解放できるかを、実際にやってみます。「たぶん抜ける」は、確認になりません。
- ユニフォームを、並べるクルー内で統一されているか。ユニフォームの外に出る帽子・鉢巻・アンダーシャツ・アンダーレギンス・靴下も、統一の対象です。色褪せて外見が違うものは「統一」と認められません(2024年4月版)。
- メンバー構成を、エントリーと突き合わせる登録どおりの並びか。交代があるなら、届出は済んでいるか。規則が挙げる監視の5項目の、いちばん最初に置かれているのがメンバー構成です。
- 航行規則を、クルー全員で読む大会要項と代表者会議で示されます。舵手だけが読んでいる状態は、読んでいないのと大差ありません。
- 計量とデッドウェイトの有無を、確認する舵手計量や軽量級の計量がある大会か。デッドウェイトを積むなら、乗り降りのときの携行の様子も見られます。
最後に、この記事の限界をはっきりさせておきます。ここに並べたのは、規則が定めている最低ラインと、ある大会での運用の例です。実際に何を、どこまで確認されるかは大会ごとに違いますし、緩和されることも、逆に 条件が足されることもあります。たとえば先ほどの潮来市の審判長注意は、学校指定の体操着 に個人名の刺繍が入っていても統一したユニフォームと認める、といったその大会限りの緩和を示していました。要項を読む理由は、そこにあります。
そして、安全に関わる判断は、この記事ではなく、指導者と主催者の指示が最優先です。「こぎだしにこう書いてあったので」は、水の上では通用しません。桟橋で監視員に止められ たら、その指示に従ってください。止めてもらえたことに、あとで感謝することになります。
